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【11杯目】川の町で、珈琲は待っていた

■ 蔵三(くらぞう)

江戸時代の終わり頃、栃木県栃木市で生まれた喋る猫。明治の文明開化の折に初めて珈琲を口にし、その美味しさに感激して喋れるようになった。それ以来、珈琲の魅力に取り憑かれ、豆・焙煎・淹れ方まで何でも知っている。落ち着いた古風な口調で、珈琲のことを優しく教えてくれる。


■ 美里(みさと)

栃木市に住む20代のOL。仕事に少し疲れ気味だったある日、喋る猫の蔵三と出会い、珈琲の美味しさと、珈琲のある暮らしを知る。一杯の珈琲で気持ちが前向きになることを実感し、今では「もっと珈琲を知りたい」と蔵三に教わっている。


Illustration by 小日向真芽 様

 

最初のお話はこちら▶「はじめに

前回のお話はこちら▶「忙しい日でも、美味しく飲む方法


蔵の猫、珈琲の時間。

11杯目


川の町で、珈琲は待っていた




朝の空気が、少しだけ澄んでいた。

美里は窓を開け、遠くの音に耳を澄ませる。

美里 「……この町ってさ、 静かだけど、 どこか落ち着かない感じがするよね」

蔵三は、縁側に座ったまま、ゆっくりと尻尾を揺らした。

蔵三 「川の町じゃからな」


小江戸と呼ばれた理由

美里 「川?」

蔵三 「栃木は、 昔から“通り道”であった」

江戸から、 川をのぼってくる舟。 荷を積み、 人を乗せ、 噂や流行を運ぶ。

蔵三 「この町は“小江戸”と呼ばれた。 江戸ほど派手ではないが、 新しいものが、確かに届く場所じゃ」


巴波川のそばで

美里 「その川って……巴波川?」

蔵三は、少しだけ驚いたように目を細めた。

蔵三 「よう知っておるな」

美里 「散歩すると、 蔵が並んでるでしょう。 なんだか、時間が止まったみたいで」

蔵三 「止まってはおらぬ。 積もっておるのじゃ」

川沿いの商家 蔵三は、視線を遠くに置いたまま語る。

蔵三 「わしはな、 巴波川のそばの商家におった」

船が着くたび、 裏口が開く。 蔵の扉が、きしりと音を立てる。

蔵三 「江戸からの船商人と 付き合いのある家でな。 珍しい品が、よく集まった」


油屋という名

美里 「どんな商家だったの?」

蔵三 「油屋、という家じゃ」

美里は、少し笑った。

美里 「油屋珈琲焙煎店、みたい」

蔵三 「……偶然ではない」


珍しいもの好きな主

蔵三 「その家の主はな、 とにかく珍しいものに目がなかった」

売れるかどうか。 役に立つかどうか。 それよりも――

蔵三 「“面白いかどうか”を、 大事にする人じゃった」


蔵という場所

巴波川に面したその家には、 大きな蔵があった。

蔵三 「分からぬものは、 すぐに捨てぬ。 売れぬからと、 急いで手放さぬ」

美里 「とりあえず、 蔵に入れておく?」

蔵三 「そうじゃ。 “今は分からぬ”という判断を、 大事にしておった」


まだ語られない、黒い豆

蔵三は、少しだけ言葉を切った。

蔵三 「その蔵に、 黒くて、硬い豆が届いたことがある」

美里 「……珈琲?」

蔵三 「まだ、 そう呼ばれてはおらなんだ」


蔵三は、ふっと息をついた。

蔵三 「今日は、ここまでにしておこう」

美里 「え、気になるところで……」

蔵三 「続きは、 蔵の中の話じゃ」


蔵三からのひとことまとめ

・栃木市は、巴波川を通じて江戸とつながる小江戸だった

・川は、物と一緒に文化や時間も運んできた

・蔵三は、川沿いの商家にいた

・油屋という家は、珍しいものをすぐに判断しなかった

・分からないものは、蔵で“待たせる”という考え方があった


蔵三 「分からぬものを、 分からぬまま置いておく。 それもまた、知恵なのじゃ」

今日の一杯が、 あなたの暮らしにそっと寄り添いますように。


次回からは、蔵三のルーツに迫ります。

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